クラシック音楽には絶対音楽と標題音楽という二つの概念がある。 前者は作曲家の意図が純粋に音の構成で作曲された音楽、そして後者は物語などの描写性をもつ音楽でそれぞれの鑑賞の仕方があるようだ。 私の場合は絶対音楽の部類に入っている曲でも、聴く時の自分の環境や気分でイメージを膨らませて勝手に標題的表現を加え歌詞をつけてしまう。 これはクラシック音楽論の大家から見れば邪道な鑑賞の仕方らしいが、それが自分なりの楽しみ方だ。
私の撮る写真は標題音楽だろう。 光、影、構図、色も気に入ればそれがシャッターボタンを押す直接的動機だが、風景も街スナップもそこに物語を感じその場面を切り取りたくなるのが本意だ。 逆にそういった描写性を感じなければレンズを向けることはない。 ただこれはそこにある実際のストーリーとは違うかも知れない全く身勝手な内容を描写しようとしているので、写真に付けるタイトルやキャプションは時として見る人の自由な発想を限定してしまう。 写真の表現の自由性をなくさせてしまうことにもなるので、押しつけがましい説明を書くかどうか悩むことがある。 しかし撮ったのは自分の思惑なので、この気ままな想像を発表するのも許されることなのかもしれない。
特に今日のシーンの場合、この二人の表情は深く、その奥に隠されたストーリーを想像し、それを語りたい誘惑には勝てず下に記すことにした。 それがこの一瞬を切り取りたいと感じた動機だからだ。 勿論ファインダーからは暗い被写体を詳細に観察することも出来ず、写真を現像した後ゆっくりと彼らの表情を読み取るまでは具体的な思いはなかったが、感覚的にそれを感じてレンズを向けシャッターボタンを押したのだろう。

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実はわたし..他に好きな人ができたのよ、ごめんね、と苦しそうな表情で告白しだした彼女。 あなたと付き合いだしてもう5年にもなるかしら、とても楽しかったしいろいろ教えてもらったし...本当に有意義な時だったわ。 今でもあなたが好きよ。 一生忘れないわ。 彼、無言。 私なんかよりもっとすばらしい人を早く見つけて幸せな人生を送ってほしいと心から願っているの。 彼、無言。
相手の反応をさぐりながら彼女はここを乗り切れば、彼より魅力的なあの人と明日からは大手を振って付き合えるのだと心から湧き上がる喜びと期待を隠すのに必死で、緊張して乾いてくる唇を湿らすのに何度もビールの瓶を口に運んだ。
一方、気落ちした感じで伏し目がちに話を聞いている彼の目尻が少しゆるんでいる。 彼女を逃がした不甲斐ない自分をあざ笑う自虐的な表情なのか。 いやそうではなく実は彼が同じように切り出したいと思っていた話を、彼女が先に始めたのだから彼にとってこれほど都合がいいことはないのだ。 ここは貸しをつくっておこうと、なんとなく優位にたった薄いほほえみだったのだ。 数ヶ月前、彼は結婚したいと思う新しい女性と密かに付き合いだしたのだから。